こんにちはtomoです。
私は博士課程を経て数ヶ月だけポスドクをやった後に現在はライフサイエンス系のメーカーで学術職として働いています。
3ヶ月でポスドクやめたのにどうして博士課程まで進んだの?ってことになると思うのですが、正直言って最初は研究者を目指していました。
しかし、今は研究者は自分がなりたかった理想像とはあまりにかけ離れた存在だということに気づき、産業界でライフサイエンスを通じて世の中をよりよくできないか模索する毎日を送っています。
この記事では僕がアカデミアを離れようと思った経緯について深掘りしていきたいと思っております。
そもそもなんで博士課程に進学しようと思ったのか
高校から浪人生を経て大学生に僕は高校の頃は部活動に明け暮れて全く勉強しませんでした。
県内ではそれなりのレベルの高校に進学できたこともあり、大学受験もちょろいもんだろうと甘くみていたのです。
しかし、人生はそんなに簡単なものではありません。
私は現役時代に受験した大学を全て不合格となってしまったのです。
その時は完全にやっちまったと思いましたね。
思春期だったんで親ともそんなに仲良い感じじゃなかったのですが、頭下げて予備校のお金出してもらいました。
しかし、対して学力も伸びず、なんとか中堅レベルの私立大学の生命科学科に潜り込むことに成功するわけです。
その時は結構悔しかったですよね。
地元じゃ負け知らずから、一気に落ちこぼれになったわけですからね。
だから僕は大学入ったら今までの分を取り返すくらいに勤勉に勉強しましたね。
ただ意外と一生懸命やってると、苦しくはない感じになってくるんですよね。結構情熱的に楽しく勉強を続けることができました。
修士課程の外部受験僕はいわゆる学歴ロンダリングで名門大学に入った口です。
一浪を経て大学進学することになったのですが、自分自身ではもっとレベルの高い大学にいきたいと考えていたのです。
なので大学に入学する前の段階から大学院は外部受験することを決めていました。
実際に大学よりも上位のレベルの大学院に進学することができてよかったと思っています。
やはり設備面や研究レベルが違いますので研究者としての成長速度が全く違ってきます。
その際にもちろんどの大学院に進学するかも大事ですが、どの研究室に進学するべきかも慎重に吟味したのがよかったと思ってます。
最終的にアカデミアを去ることにはなりましたが、学歴ロンダリングした事や博士課程に進んだことは一切後悔していません。
以下ではアカデミアを去る理由を述べていきますが、今でも僕はアカデミアに対して恨みつらみがあるわけではありません。
むしろ感謝しているくらいであることは事前に述べておきたいと思います。
コロナでアメリカ留学に行けなくなった。
全てはここから始まります。
僕はもともと、博士課程を卒業した後にアメリカに行く予定でした。
アメリカのラボでは給料を工面してくれるとのことでしたが、コロナの影響で急に僕を雇用するための予算が組めないと言われてしまいました。
将来的に夢破れたとしても一度アメリカで経験を積みたいと思っていましたので非常にショックでした。これがきっかけで、自分のライフプランを考え直すことになりました。
低賃金で数年おきに居住地を変えるなど、生活の基盤が安定しないことそこでまず、研究以外の私生活で研究者を続けた場合に生じる影響について考えてみました。
すると、研究者は居住地が全く安定せず、生活の基盤を構築できないということに改めて気づきました。
たとえ家賃の低い家に住んだとしても数年おきに居住地を変えなければいけないとなると引っ越し費用もかかってきます。
新しい居住地は毎回新鮮で刺激的でもありますが、腰を据えて仕事に取り組むことが難しくなります。
またポスドクという身分では収入もとても低く、補助もないため、毎回多くの出費を自らの財布から支払わなければならないのです。
これでは研究者は低賃金であることとも相まって生活が困窮していくことは間違いありません。
結婚はかろうじて可能かもしれませんが、子育てなどもっての他でしょう。
僕にとってはこれは受け入れ難いものだなと考えるようになりました。
確かに仕事も大事ですが、いつまでたってもプライベートが充実しない(少なくともパーマネントのポストを得るまでは)のは自分の人生の方向性とは合致しないと考えたのです。
博士課程の研究を通して、「これを一生賭けて探求するぞ」という研究テーマに出会えなかったこと
これも重要な要素かなと思います。
博士課程の学生の頃の僕は、何かを明らかにしたいというモチベーションよりは早く結果を出して一人前の研究者になりたいという思いの方が強かったのではないかと思います。
要は科学の追求よりも、出世や承認欲求にモチベーションを持ってしまったいたということです。
ただし僕だって最初からそうだったわけではありません。
しかし、将来的に自分の思うがままに研究をするにはどうしても自身で研究室を主催する必要があります。
そして研究室を主催するためには業績をあげてみんなから認められなければいけません。
このような環境下におかれた末、僕は研究者としての自分を完全に見失ってしまいました。
個人的な見解ですが、当時の僕と同じような考えに陥ってしまっている、博士課程学生やポスドクの方は結構いるんじゃないかと思います。
アメリカにポスドクにいけなくなり、冷静に自分自身を見返す時間が出来た結果、僕は自分の価値観がねじれてしまっていることに気づくことができたのです。
生命科学は好きだが、せっかちな性格なため、研究には不向きなだと感じた
僕は基本的にさっさと結果を知りたいと思ってしまう性格です。
正直ウエスタンブロッティングで呑気に一次抗体、二次抗体とまったり染色しているのなんて辛くてしょうがなかったです。
プラスミド作るのにもシーケンス確認まで含めると3~4日かかってしまいますし、かなりストレスを感じていました。
何をするにも分子生物学・生化学は実験の待ち時間が多すぎます。
僕の場合は次世代シーケンサーを用いたバイオインフォマティクスを用いた実験も行っていたため、少しだけ効率的に研究を進めることができました。
しかし、一つのプロジェクトを完結するのに数年から下手すれば10年近くかかるってのは僕の性分には合わないなと思いました。
それなら修士くらいで見切りつけてさっさと就職しろよって思われるかもしれません。
ただ、当時の僕はそのことに気づけなかったのですよね。今の職場では数ヶ月で完結するプロジェクトが大半なので全くストレスがありません。
やはり人には向き不向きがあるのだなとひしひしと感じます。
ビジネスの世界をみてみたいと思った
これまではどちらかというとネガティブな理由でしたが、これはポジティブな理由です。
僕がアカデミアに進路を決めた当時のモチベーションはやはり新規の生命現象を発見して人類の発展少しでも貢献できたら良いなと思ったところです。
単純な知的好奇心というよりも世のため人のためといった感じです。
しかし、研究を進めていく中で、アカデミアの成果主義一辺倒なやり方に疑問を感じるようになりました。
研究テーマを決める際も、トップジャーナルが取り上げてくれそうなホットなジャンルをみんながこぞって研究する。
これでは真に学問を追求したり、世の中の人々に役立つ活動を行うのは非常に難しいと感じました。
できるようになったとしてもおそらく自分が独立研究者としてやりたい研究を行えるようになってからでしょう。
ただし、研究にはお金がかかります。
しかし、残念ながら今の研究費のほとんど大部分は国からの出資であり、国は”役に立ちそうな研究”が大好きです。
一研究者の素朴な好奇心から思わぬ発見があるかもしれないのに、そのような芽を全て摘んでしまっているのが今のアカデミアの現状です。
私はもう少し素朴な好奇心で研究ができる世界なのではないかと思っていましたが、勘違いなようでした。
であるとするならば、ビジネスの世界でもっと直接的に人々の役に立つ仕事をするしかないなと考えるようになりました。
ビジネスの世界ではサービスを提供する代わりにお金をいただきます。
ライフサイエンスがどのようにしてお金になっているのか自分の目で確かめてみたくなったのです。
プライベートの充実も人生において大事なのではないかと思った
これも重要な理由の一つです。
当時の僕は朝から晩まで研究づけの毎日でした。
土日にラボに行って実験するなんてことも日常茶飯事で、お盆や祝日に休むということもほとんどありませんでした。
しかし、僕は凡人ですので、D3の後半くらいからそんな生活が少しずつしんどくなってきました。
しかも実験の結果も思うように出なくなっていて、少し環境を変えたい気分でした。
そこで、休日に近所のカフェでゆっくりしたり、自分の興味のある本を読んでみたり、散歩してみたり、久しぶりにフットサルやってみたりと、研究以外のことも色々やってみたのです。
すると、学部生の頃くらいまでは当たり前のようにやってたこれらの休日の過ごし方がすごく充実したもののように感じたのです。
休日を充実させるなんて当たり前と言えば当たり前なのですが、5年近くまともに休みも取らずに研究一筋だったわけですからむしろ新鮮な気分だったわけです。
そんなこともあり、これはもしかすると研究だけして一生を終えるのは勿体無いのではないか、と考えるようになったのです。
そこで仕事は仕事として割り切って(もちろん仕事中は最大限仕事に貢献できるように頑張りますが)働くことのできるビジネスの世界は自分にはあっているのではないかと考えるようになりました。
実際、ビジネスパーソンとして日々を過ごしてみてとても心地よいです。
幸運なことに僕の今の職業は博士課程までに培った知識をフル活用するようなお仕事ですし、週7がきつかっただけで根本的にライフサイエンスの分野は好きでしたので、今はとても充実した日々を送ることができています。
まとめ
いかがだったでしょうか。
アカデミアをやめるといってもシンプルに一つの理由があってやめているのではないのです。
様々な理由が複雑に絡み合って現在の職業に辿り着きました。
将来、自分が何になっているかは分かりませんが、少なくとも現状では研究者以外にもライフサイエンスの携われてやりがいを感じることのできる仕事に出会えて公私共に充実した日々を送っています。
もしこの文章をポスドクや博士課程の人が読んでくれて、研究者以外の選択肢というのもあるかもしれないな、と思っていただけたらとても嬉しいです。
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